うわさの窓際OL斉藤由香

  • 2008/05/12(月) 16:34:17

うわさの窓際OL斉藤由香は、祖父・斎藤茂吉、父・北杜夫。
文学者の家庭に生まれ育ったお嬢さまは、某一流企業に勤める「窓際OL」。勤続×年目にして、何の因果か精力剤を売るハメに!

「大アマゾンを行く」 最終章

顔洗い場があったんだけど、いつもボウフラが浮かんでいて、『ふーっ』と息を吹くと沈むから、そうして顔を洗ってね。月給は五コントで、そこから住居費、食費、電気代をとられた。残りが二コント。タバコを買うとなくなるんだ。日曜も仕事で、二時からやっと休みをもらえて、金ダライにズボンと下着を入れて足で踏んで洗濯をしてね。その繰り返しだった」

「ブラジルに行く前に、『移民の指導要領』という小雑誌が配られて、『ドラム缶を持っていくと、荷物入れや風呂になるし、種子の収納にも便利です』とか、いろいろ書いてある。でも今では考えられない想定外の苦難があって、杉野先生がみんなの心のよりどころだったんだ」

「サイトウさん、ボクは三回、虫が体に入ったんだ」「ハッ?虫ですか?」「昭和三十七年頃、貧しくて豚の内臓で石鹼を作っていたんだ。農作業服を石鹼で洗って干すと、豚のにおいに誘われて虫が卵を産むの。臍の横が蚊に刺されたみたいで、『痒いな』と思ってみると、二ミリの穴が開いていて、ボクの体でサナギが育っているんだ」「エーッ、サナギが!?」思わず卒倒しそうになる。

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 いつか父とアマゾンへ
ブラジルに行く前夜、何故、ブラジル移民の話を書いたのか父に尋ねた。「まだ日本で海外旅行が自由化されていない頃、昭和三十六年の年末から、二ヶ月間、ハワイ、タヒチ、フィジー、東サモア、西サモア、ニューカレドニアに取材に行った。タヒチで、『山奥に日本から移住した日本人の老人が住んでいる』と噂を聞いたんで、ようやく、一人暮らしの老人を見つけた。でも長年、誰とも話してないから、日本語を忘れかけていてね。『日本に帰りたくないですか』と聞いたら、『そんなことは叶うわけもないし、つらくなるので考えないことにしています』と言われ、”何てことを聞いてしまったんだろう”と、今でも後悔しているんだ....」

父は言葉を詰まらせた。「悲惨な移民の人達の話を聞いて、あまりにお気の毒で、いつの日か移民の話を書こうと、二回、ブラジルに行った。ベレンやトメアス、マナウス、弓場(ゆば)農場、第一回のブラジル移民を乗せた笠戸丸が入港したサントス港にも行ったよ」「移民の方々は、すごい苦労をされたの?」
「悲惨だった、殖民会社が人を集めたんだけど、移民の人達は渡航費を自分で払わないといけないから、家や田畑を売った。『金持ちになって、三年で日本に帰国する』という夢を持っていたけれど、過酷な自然と労働が待ち受けていてね。コーヒーの実を収穫するには技術も必要だし、しかも賃金は安い。冷害もあり、マラリアも蔓延したりして、ほとんどの人は日本には帰れなかったんだよ」父の目には涙があった。

最後の晩、サンパウロの空港へ。農大OBの方々が大勢、見送りに来てくれた。「サイトウさん、また来てね。これ飛行機の中で食べて」クッキーやブラジル移民の資料、アマゾンで一緒に撮影した写真を渡された。帰りの飛行機の中では、トメアスやベレンで見た日本人の墓を思い出し、涙が止まらなかった。私たちは何と安直な生活をしているのかと愕然とする。新聞や雑誌でももっとブラジル移民のことを報じてほしい。来月六月十八日、日本人のブラジル移住百周年を迎える。恐らく父は「無理だ」と言うと思うが、無理矢理、車椅子に乗せてでも、二人でアマゾンを再訪したい。

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